ぶーこの移住日記

ワケあって・・・移住しました。

沖縄慰霊の日と本土復帰

こんにちは、ぶーこです。

 

沖縄では、毎年のように不発弾の処理が行われています。

今年も、那覇で住民を避難させて不発弾の処理をしたとニュースでやっていました。

基地の問題もあり、沖縄ではまだ戦争は完全に過去のことではないと感じます。

目の前で肉親が銃で撃たれたことをいまだに覚えているという年寄りも多数います。

 

もうすぐ、沖縄慰霊の日がやってきます。

6月23日は、沖縄での組織的戦闘が終わった日とされています。

沖縄にとって、とても大事な日です。

内地の人間が8月15日を特別な日としている以上に、沖縄にとっての6月23日は特別です。

本土復帰までは公休日だったとのことからも、その意思が見えるというものです。

 

日本復帰の日は、何の記念日でもなく、南部で平和行進が行われている程度です。

もちろん、実際の復帰の日には大騒ぎだったようです。

小学校低学年でダンナは詳しくは覚えていないそうですが、1夜にして車の通行も、信号の付いている側も、使用される通貨も、全てが変わったそうです。

皆徹夜で大騒ぎだったとだけ覚えているとか。

ですが、現在では本土復帰の日はおめでたい日ではなく、平和を考える日、平和を訴える日となっているのです。

先祖の魂を鎮め、感謝し、お祈りをするのは「慰霊の日」で、本土復帰の日は「本土に反省を促し、2度と戦争をしないように訴えるための日」となっているということです。

(本土復帰の日をそう考えるのは一部の人で、今では大半が興味すらないし、若い子は何の日かすら知らないというのが本音のようですが。)

 

沖縄県民にとって「慰霊の日」は、単なる終戦の日でも、戦死した英霊の魂を慰める日でもありません。

平和記念公園は、メッカ巡礼のように「一生に一度は行きたい場所」となっていると感じます。

もちろん、沖縄県内はそこまで広いわけでもなく、毎年いける人は毎年行っているのですが、お年寄りや離島に住む人にとっては、「遠い場所」であり、強い思いもありすぎて簡単にはいけない場所になっているようです。

 

靖国神社へ」の思いとはまるで違います。

靖国への思いは、「国を守ってくれた英霊」への感謝と慰霊が基本かと思います。

沖縄の平和記念公園にいるのは、「英霊」ではありません。

靖国に多い「侍・軍人」ではなく、(もちろん軍人もいますが)圧倒的に普通の一般人が多く、沖縄戦がなければ死なずにすんだ人達・・・単なる犠牲者ばかりなのです。

それは、本当ならそこにいるのは(死んでいたのは)自分かもしれないという思いであったり、この人がいなかったら自分は生まれていなかったという不思議さ・血と縁の繋がりを感じ、生きている幸せと次に繋がっている報告をする人がいたり、こんな犠牲は2度と出してはならないと誓う人がいたり、もう2度と来られないからと何時間もお経を唱える人がいたり、ただただ静かに祈るだけであったり、「英霊」ではなく、とても「身近」な人たちがそこにはいるのです。

 

聞いた話によると、「見える」人には、まだそのあたりに沢山の「自分が死んだとは分かっていない」人たちがいるそうです。

沖縄には、そんな場所が多くあります。

 

 

沖縄に来る際には、きれいな海や国際通り等の観光地ばかりではなく、少しだけ前の歴史に目を向けて手を合わせてみてください。

大事な場所では大騒ぎをせず、歴史を勉強し、過去に思いをはせ、色々な人の思いや立場を想像するという楽しみ方をおすすめします。

映える写真を撮るだけではない、様々な視点からものをみるという観光の仕方が、今後広まっていけばよいなと思います。

 

是非、ゆっくりと沖縄に来てくださいね。

 

読んでいただき、ありがとうございます。