沖縄人とギャンブル
こんにちは。ぶーこです。
沖縄には、公営ギャンブル施設がありません。
競馬・競輪・競艇等の公営ギャンブルがないのは、それらの事業が生まれた戦後、まだアメリカ占領下だったためでしょう。(公営ギャンブルは戦後復興資金集めのためにできたと言われています。)
場外馬券売場等、支店(?)もありません。
では、そうした施設がなければ、ギャンブルとは無縁だと思いますか?
私の見解ですが、沖縄人はギャンブル好きです。
もしかすると、本人たちはギャンブルと思っていない可能性もあります。
パチンコ・スロットは、最近問題になっているので、さすがに分かっているかもしれませんが。
パチンコ・スロットが一番多いですが、マージャン・ゴルフ・高校野球でも賭けを当たり前のようにしています。
ものすごい高校野球熱だと思っていたら、実は「賭け」に熱中していたのには驚きました。
昔は闘牛や闘鶏でも賭けをしていたと、ダンナが話していました。
あと、花札が盛んらしいです。私はまだやっている人を見たことありませんけど。
施設がなければギャンブルはしないというものではありません。
貧すれば貧するほど、お金に困れば困るほど、一攫千金を夢見るものです。
そして、一度「濡れ手で粟」のお金を手に入れると、のめり込むものです。
公営ギャンブルの施設はなくても、そうした素養(?)は十分にあるということです。
沖縄では、宝くじが好きな人も多いようです。
ちょっと古い記事ですが、こんなものがありました。3年連続上位とか。
もう10年も昔のことですが、カジノ誘致でも議論していましたよね。
10年以上前から(もっと前から)、パチスロによるギャンブル依存は、沖縄でも問題になっていたようです。
沖縄では朝まで飲む風習からかアルコール依存の人も多く、依存症の一つとしてギャンブル依存にも取り組んでいました。
カジノ誘致の際にも、問題視されました。
私は、カジノ誘致とギャンブル依存とは別問題で、分けて考えたほうが良いとは思っていますが。それ以上の意見は、ここではやめておきます。
沖縄の人は、依存しやすいのかもしれません。(怒られそうですが。)
幼少期に親子関係に問題があると、その後も何かに依存しやすい性格になるときいたことがあります。親から得られなかった愛情や承認を、他の何かから得ようとしているとか、一時の刺激で生きている感覚を確かめているとか、自分を傷つけることやお金で注目を浴びるのが承認欲求を埋めているのか、心理学的には何かあるのでしょう。
沖縄では、兄弟が多い上に経済的に余裕がなく、幼少期に構って貰えなかった子が多かったのではないかと思います。
全県民的にも、日本から見放されている、人質にされている等といった感情と環境も、そういった寂しい心理を後押しというか、増強させているのかもしれません。
沖縄県は、アルコール依存も多いと聞きます。
朝まで飲み会・ビーチパーティという環境に加え、安価でおいしく、度数の高いアルコール(泡盛)がありますし、意外(?)に抑圧された狭い社会だともおもいますし。
「飲んで仕事に来るな」と怒られている人を見かけたり、実際に依存症で仕事にこれなくなった人もいるという話も身近で聞きます。
ウチのダンナも、それが理由で沖縄に来たのですが、父親も酷い依存症だったそうです。
サトウキビ畑の中にお酒を隠したとか、まだ小学生だったダンナがお酒を買いに行かされたとか、暴れもしたし、仕事もダメになって、お母さんは苦労したようです。
依存症や精神疾患系統が多いのは、第2次大戦の歴史のせいとも言われているようなので、あまり深くは突っ込みません。
ギャンブルの話でした。
沖縄県民が、ギャンブルを好きなのは間違いありません。
お金を賭けるとか、スリルを楽しむというより、楽して一攫千金を狙っている人が多いイメージです。
漁や猟で大物を狙う、狩猟民族的イメージです。
沖縄出身の芸能人が多いのは、彫りが深いとか、小麦色の肌にアジアンチックな魅力があるとか、ハーフやクウォーターが多い等といった外見だけでなく、「一発当てたい」という沖縄人気質もあるのではと思います。
願わくは、多少の紆余曲折があっても、ずっと長く勝ち続けることを祈ります。
沖縄と沖縄県民が、幸せでありつづけますように。
読んでいただきありがとうございます。